講演要旨
1.「生殖細胞形成過程のエピゲノム動態と遺伝子発現の不均一性」
奈良県立医科大学 発生・再生医学講座 栗本一基
要旨:
私たち人間を含む多細胞生物は基本的にはただ一つの受精卵から発生する。卵子や精子は、その一つ一つが、ゲノム情報と発生能を次世代に適切に伝達する役割を持つ。これらの細胞を高い品質で形成することが安定した生命継承の要であるといえる。生殖細胞系列の起源は、胚生期に一過的に出現する始原生殖細胞で、哺乳類では原腸陥入の開始とともに、胚体を形成する一層の多能性上皮様組織エピブラストから分化して生じる。この過程は周囲の体細胞を中胚葉に誘導するシグナルの影響を受けて、生殖細胞を形成するための遺伝子発現プログラムが制御される。これに伴ってDNAやヒストンに付与される化学修飾(エピジェネティック修飾)も激しく変動する。さらに、このプロセスの直後、始原生殖細胞はDNAのメチル化修飾を全ゲノムにわたって消去し、それまでの発生過程で蓄積された情報を消去する(エピゲノムリプログラミング)。これらのエピゲノムの変動は、生殖細胞系列がゲノムを刷新し次世代に発生能や遺伝情報を適切に伝達するために必要であると考えられている。さらに、我々は最近になって、組織切片を詳細に形態解析した後に切片中の細胞をひとつずつ切り出して、質の高い遺伝子発現解析をおこなう手法DRaqL (direct RNA recovery and quenching for LCM)を開発した。これを用いて、卵巣中で成長過程の卵母細胞や顆粒膜細胞の、組織学的な情報とトランスクリプトームの間にある関係の不均一性を解析した。本講演では、これまでに行ってきた生殖細胞発生過程のエピゲノム動態の解析等について概説し、生殖細胞に特有のゲノム制御の様式について議論したい。
略歴
【学歴】
1997年3月 東京大学理学部生物化学科卒
2002年3月 東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻修了(博士(理学))
【職歴】
2002年4月 日本学術振興会, 特別研究員(PD)
2003年4月 独立行政法人理化学研究所, ゲノム科学総合研究センター, リサーチアソシエイト
2004年1月 独立行政法人理化学研究所, 発生再生科学総合研究センター, 研究員
2007年4月 独立行政法人理化学研究所, 発生再生科学総合研究センター, 基礎科学特別研究員
2010年4月 京都大学大学院, 医学系研究科, 助教
2015年4月 京都大学大学院, 医学系研究科, 准教授
2018年9月 奈良県立医科大学, 発生・再生医学講座, 教授(現在に至る)
2.「ミュータジェネシス研究の今昔:誘発変異から自然変異へ、そしてまた
誘発変異へ」
権藤 洋一(東海大学医学部分子生命科学領域)
要旨:
遺伝学は、「変異」を研究する分野であり、変異検出と系統確立が基盤となる。Morgan (1910)がD. melanogasterにw変異を実験室において発見確立し、近代遺伝学が始まった。さらに、Muller (1927)のX線誘発変異の発見によって急速に遺伝学研究が進んだ。自然集団に維持されている多型変異と、X線誘発変異の「質的な違い」が明らかとなり、一方で、化学変異原など様々な環境変異原も同定されるにつれ、自然集団に生じている変異をより誘発する変異原の探索が1970年代に進んだ。放射線を含め、環境変異原リスク評価の視点から、ミュータジェネシスは、以来、広く活用されている。しかし、自然変異と人工的に誘発された変異の違いについての研究はほとんど進んでいないと考える。環境変異原分野では直線閾値なし(LNT)モデルに基づき、体細胞レベルにおいても次世代影響についても誘発される変異をリスクとみなして評価する。集団遺伝学おいては、仮に変異率ゼロの場合、種は遺伝的多様性を失い存続できず進化もないと予測する。現在、ヒトにおいて全世界で100万人規模でのゲノム解読と大規模な変異検出が進むなか、遺伝学分野に残されているこの大きなパラドックスについて考察して見たい。
略歴
【学歴】
1980年3月 九州大学大学院理学研究科博士前期課程修了(理学修士)
1987年11月 米国Colorado大学大学院Boulder校
分子細胞発生生物学専攻修了(Ph.D.)
【職歴】
1987年11月 米国Jackson Laboratory・ボストドク
1988年 5月 米国Fox Chase Cancer Center・ボストドク
1980年10月 東海大学・医学部・助手
1992年 4月 九州大学・生体防御医学研究所・講師
1994年 4月 東海大学・総合医学研究所・助教授
1999年 8月 理化学研究所・ゲノム科学総合研究センター・チームリーダー
2008年 4月 理化学研究所・バイオリソースセンター・チームリーダー
2018年 1月 東海大学・医学部・特任教授
2021年 4月 東海大学・医学部・客員教授、大阪大学・核物理研究センター・協同研究員
3.「ウシ新規父性インプリント遺伝子の探索」
金田 正弘 (東京農工大学大学院農学研究院動物生命科学部門)
要旨:
インプリント遺伝子とは、対立遺伝子のうち父方あるいは母方由来の遺伝子のみが特異的に発現する遺伝子であり、胎児の発生・成長、胎盤の形成、母性行動など多くの生命現象に関わっていることが知られている。また、これらの発現調整を担う分子機構はDNAメチル化やヒストン修飾といったエピジェネティックな機構であることもこれまでの研究から明らかになっている。マウスとヒトではすでに100以上のインプリント遺伝子が同定されているが、ウシのインプリント遺伝子は20程度しか同定されておらず、それもマウスや人のホモログ遺伝子の解析で終わっている。そこでウシにおける新規父性発現インプリント遺伝子を探索するために、母由来ゲノムのみを持つウシ単為発生胚(胎生40日目)から樹立した線維芽細胞と、オスの正常胚から樹立した線維芽細胞の遺伝子発現やDNAメチル化の状態を解析した。
マウスインプリント遺伝子のウシホモログ遺伝子の発現を解析すると、ウシでもマウスと同様のパターンを示す遺伝子があるとともに、マウスとは異なる発現パターンを示す遺伝子も存在した。DNAメチル化パターンの解析からは、反復配列のメチル化には違いがなかったものの、インプリント遺伝子のメチル化については、単為発生胚は明らかに卵子様のパターンを示した。また、X染色体不活化に必須なXIST遺伝子の発現およびメチル化は単為発生胚で正常であることから、X染色体不活化の機構に破綻はないと思われる。マイクロアレイの結果からは、既知の父性発現インプリント遺伝子を含む300近い候補遺伝子が見つかったため、現在それらの解析を行っている。
略歴
【学歴】
2000. 3 東京農工大学農学部獣医学科卒業
2003. 9 総合研究大学院大学生命科学研究科遺伝学専攻修了(博士(理学))
【職歴】
2003.10 国立遺伝学研究所 プロジェクト研究員
2005.4 英国ケンブリッジ大学ゴードン研究所 日本学術振興会海外特別研究員
2007.4 英国ケンブリッジ大学ゴードン研究所 上原記念生命科学財団リサーチフェローシップ
2007.10 独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 畜産草地研究所 研究員
2010.10 独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 畜産草地研究所 主任研究員
2012.10 国立大学法人東京農工大学 大学院農学研究院動物生命科学部門 助教
2017.10 国立大学法人東京農工大学 大学院農学研究院動物生命科学部門 准教授
4.「iGEM (iPS cell-based Global Epigenetic Modulation) assayを用いた化学物質のDNAメチル化調節活性評価および活性物質のメカニズム解析」
大塚 悟史(東京大学大学院医学系研究科 細胞組織コミュニケーション講座)
要旨:
近年、胎児期の化学物質曝露によるエピゲノム異常が、発達障害や特定の疾患の発症リスクを高める可能性が指摘されているが、エピゲノム調節活性の評価が十分にされている化学物質の数は未だ少なく、化学物質のエピゲノム調節活性を簡便に高効率に評価する系の確立が求められている。我々は、蛍光標識されたメチル化CpG結合ドメイン(MBD)を発現するヒトiPS細胞を用いて、グローバルDNAのメチル化に影響を与える化学物質をハイスループットに検出するiGEMアッセイを開発した。心毒性や発がん性が知られている135種類の化学物質を、ヒトiPS細胞の蛍光MBDシグナルへの影響を指標に評価し、3つのカテゴリーに分類した。また、化学物質の種々の生物活性に関する公共データベースと照合させ、各カテゴリーの化学物質の特徴を調べた結果、MBDシグナルを増加させる活性を持つ化学物質の多くが、CAR (constitutive androstane receptor) アンタゴニスト活性やヒストンH2AXリン酸化活性を持っていることが分かり、これらの生物活性とエピゲノム調節活性との間に相関関係があることが示唆された。さらに、顕著な活性を示した化学物質についてDNAメチル化および遺伝子発現プロファイルへの影響をゲノムワイドに調べた結果、MBDシグナルを増加させる化学物質が、細胞周期や発生に関わる重要な遺伝子の発現にエピジェネティックなメカニズムを介して影響を及ぼしている可能性が示唆された。本発表では最新の結果を交えながら、化学物質が持つDNAメチル化調節活性と生体への影響の関係について議論したい。
略歴
【学歴】
2012年 3月 早稲田大学先進理工学部化学・生命化学科卒業
2014年 3月 早稲田大学大学院先進理工学研究科化学・生命化学専攻修士課程修了
2018年 3月 同博士後期課程単位取得退学
【職歴】
2018年 4月 国立環境研究所環境リスク・健康研究センターリサーチアシスタント
2019年 4月 早稲田大学理工学術院総合研究所招聘研究員
2020年 4月 京都大学iPS細胞研究所特定研究員
2022年 7月 東京大学大学院医学系研究科特任研究員